その賃料、何年放置していますか?― 適正賃料を「数字」で証明する賃料改定の実務

はじめに

「テナントに支払っている(あるいは受け取っている)賃料は、今の市場水準と比べて本当に適正なのだろうか?」

この問いは、ビルオーナーにとっても、テナント企業にとっても、経営上の重要なテーマです。特に、長期間にわたって同じ賃料で契約が継続している場合、周辺の市場賃料との間にかなりの乖離が生じていることは珍しくありません。

当サイトでは以前、テナント(借主)向けに「家賃値上げ通知が届いた場合の対処法」を解説しました。本記事では、視点を変えて、ビルオーナーや企業の不動産管理部門といった貸主・法人の立場から、賃料改定を適正かつ円滑に進めるための実務知識を、不動産鑑定士の視点で解説します。

第1章:なぜ賃料は「見直し」が必要なのか

不動産市場は常に変動している

賃貸借契約を締結した時点では適正だった賃料も、経済環境や不動産市場の変動、周辺の再開発や競合ビルの供給状況によって、時間の経過とともに市場水準との乖離が生じます。

実際、三鬼商事の調査によれば、東京都心5区のオフィス平均空室率は2026年1月時点で2.15%(11ヶ月連続低下)、平均募集賃料は月額21,648円/坪(24ヶ月連続上昇)と、極めてタイトな市場環境が続いています。一方で、エリアや物件タイプによるばらつきも大きく、好立地・高スペックビルへの需要集中と、アクセスの悪いエリアや築古ビルの苦戦という二極化が鮮明になっています。

このような状況下では、市場賃料の上昇に対して契約賃料が追いついていないビルもあれば、逆に市場水準を上回る賃料を支払い続けているテナントも存在します。いずれの場合でも、賃料の「見直し」は合理的な経営判断として検討に値するのです。

賃料改定に関する法律の規定

借地借家法(しゃくちしゃっかほう)第32条第1項は、以下のいずれかの事情がある場合、当事者(貸主・借主)は将来に向かって賃料の増額または減額を請求できると定めています。

  1. 土地・建物に対する租税その他の負担の増減があったとき
  2. 土地・建物の価格の上昇・低下その他の経済事情の変動があったとき
  3. 近傍同種の建物の賃料に比較して不相当となったとき

これらの要件は「又は」で結ばれており、いずれか1つに該当すれば請求権が発生し得る点が重要です。また、最高裁判例(最判平成17年3月10日)では、これら所定の事情のほか「賃料額決定の要素とした事情その他諸般の事情を総合的に考慮すべき」とされています。

つまり、法律上も、賃料は固定されたものではなく、社会経済状況の変化に応じて見直されるべきものとして位置づけられているのです。

なお、定期建物賃貸借契約(いわゆる定期借家契約)においては、借地借家法第38条第7項により、賃料改定に関する特約がある場合には第32条の適用が排除されます。つまり、「賃料改定は行わない」「消費者物価指数に連動する」といった特約があれば、それが優先されます。定期借家か普通借家かで、賃料改定の法的枠組みが大きく異なる点にご注意ください。

交渉が決裂した場合の暫定措置

借地借家法第32条は、交渉が不調に終わった場合の暫定ルールも定めています。

  • 増額請求の場合(第2項):借主は、増額を正当とする裁判が確定するまで、自らが相当と認める額の賃料を支払えば足ります。ただし、裁判で増額が認められた場合、不足額に年1割の利息を付して支払う必要があります。
  • 減額請求の場合(第3項):貸主は、減額を正当とする裁判が確定するまで、自らが相当と認める額の賃料の支払を請求できます。ただし、裁判で減額が認められた場合、超過額に年1割の利息を付して返還する必要があります。

この「年1割」という利率は通常の法定利率(年3%)と比べて非常に高く、賃料改定紛争における当事者双方のリスクとなります。

第2章:「継続賃料」と「新規賃料」の違いを理解する

賃料改定の実務において最も重要な概念が、「継続賃料」と「新規賃料」の違いです。

新規賃料とは

新規賃料とは、これから新たに賃貸借契約を結ぶ場合に設定される賃料です。いわゆる「市場賃料」「募集賃料」に近い概念であり、現在の市場環境をダイレクトに反映します。

継続賃料とは

継続賃料とは、既に継続中の賃貸借契約において、賃料改定を行う際に決定される賃料です。不動産鑑定評価基準(総論第5章第3節)では、「不動産の賃貸借等の継続に係る特定の当事者間において成立するであろう経済価値を適正に表示する賃料」と定義されています。

同基準の総論第7章第2節IIIでは、継続賃料の評価にあたり、以下の4つの手法を総合的に適用するものとされています。

  1. 差額配分法: 現時点で想定される正常賃料(新規賃料に相当するもの)と実際支払賃料との差額を、契約の経緯等を総合的に勘案して貸主・借主間で配分する手法
  2. 利回り法: 基礎価格(不動産価格)に継続賃料利回りを乗じて純賃料を求め、これに必要諸経費等を加算する手法
  3. スライド法: 直近合意時点の純賃料に、経済変動率(消費者物価指数や地価変動率等)を乗じて改定賃料を求める手法
  4. 賃貸事例比較法: 類似の継続賃料改定事例と比較して求める手法

なぜ「継続賃料≠市場賃料」なのか

ここで極めて重要なのは、継続賃料は、単に市場賃料(新規賃料)と一致するとは限らないということです。

継続賃料の評価では、市場動向だけでなく、以下のような継続賃料固有の価格形成要因(各論第2章第1節I)が考慮されます。

  • 近隣地域における賃料の推移及び改定の程度
  • 土地価格の推移
  • 公租公課の推移
  • 契約の内容及びそれに関する経緯
  • 賃貸人・賃借人の近隣地域の発展に対する寄与度

つまり、「周辺の相場がこれだけ上がったから、同じだけ上げる」という単純な話にはなりません。長年にわたる賃貸借関係の継続性や、過去の賃料改定の経緯、テナントの事業への貢献なども考慮される――この複雑な判断こそ、不動産鑑定士の専門性が最も発揮される領域です。

【具体例】継続賃料はこう算定される

たとえば、築15年のオフィスビルで10年前から賃料据え置きのテナントを想定してみましょう。

項目数値
現行賃料(実際支払賃料)月額15,000円/坪
現在の市場賃料(正常賃料)月額20,000円/坪
差額月額5,000円/坪

差額配分法では、この差額5,000円/坪をそのまま上乗せするのではなく、契約の経緯や貸主・借主双方の事情を考慮して「配分率」を決定します。仮に貸主への配分率を50%とすれば、差額配分法による継続賃料は17,500円/坪(15,000+5,000×50%)となります。

実際の鑑定評価では、この差額配分法の結果に加えて、利回り法・スライド法・賃貸事例比較法の結果も総合的に勘案し、最終的な継続賃料を決定します。

第3章:賃料改定を円滑に進めるための実務ポイント

ポイント1:客観的なデータに基づく交渉

賃料改定の交渉において最も避けるべきは、「なんとなくこのくらい上げたい(下げたい)」という根拠のない主張です。交渉を有利かつ円滑に進めるためには、市場データに基づいた客観的な根拠が不可欠です。

不動産鑑定士に依頼して作成する「賃料に関する鑑定評価書」「意見書」は、その最も強力な根拠資料となります。鑑定士が算出した適正賃料の額とその根拠は、相手方を納得させるための合理的な交渉材料となり、感情的な対立を防ぐ効果があります。

ポイント2:交渉のタイミングと準備

賃料改定の交渉は、一般的に契約更新のタイミングに合わせて行うのが最もスムーズです。少なくとも契約満了の半年から1年前には準備を開始し、鑑定評価の取得や交渉方針の策定を進めておくことをお勧めします。

準備段階で押さえておくべき情報は以下のとおりです。

  • 現行の契約条件(賃料額、契約期間、改定条項の有無、定期借家か普通借家か)
  • 直近の賃料合意時点と、それ以降の市場環境の変化
  • 周辺の募集賃料・成約賃料の水準
  • 固定資産税・都市計画税の推移

ポイント3:調停・訴訟への備え

交渉で合意に至らない場合は、民事調停、そして訴訟に発展する可能性があります。なお、賃料増減額請求に関する紛争は、訴訟提起の前にまず調停を申し立てなければならないとされています(民事調停法第24条の2、いわゆる「調停前置主義」)。

訴訟に至った場合、裁判所は不動産鑑定士の鑑定意見を重視するのが一般的です。特に注意すべきは、訴訟の過程では裁判所が独自に鑑定人を選任し、「裁判鑑定」が行われるケースが多いことです。この裁判鑑定の結果が判決に大きな影響を与えるため、自ら依頼する鑑定評価書の品質と説得力が、交渉段階から裁判段階まで一貫して重要になります。

第4章:ビルオーナーが見落としがちな賃料改定の機会

「据え置き」は機会損失になり得る

賃料改定にはコストや労力がかかるため、つい「現状維持」を選びがちです。しかし、市場賃料が大幅に上昇しているにもかかわらず契約賃料を据え置くことは、長期的には大きな機会損失となります。

以下のシミュレーションをご覧ください。

前提条件数値
テナント数10戸
1戸あたり増額幅月額5万円
年間増収額5万円 × 10戸 × 12ヶ月 = 600万円
10年間の累計増収額6,000万円

鑑定評価の費用(一般的に数十万円程度)は、この金額と比較すれば極めて小さな「投資」と言えるでしょう。さらに、賃料収入の増加はDCF法(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー法)による不動産価格の評価上もプラスに作用するため、ビル全体の資産価値の向上にも直結します。

テナントとの関係性を維持した交渉

賃料改定は、テナントとの対立を意味するものではありません。市場データに基づく合理的な根拠を示しつつ、テナントの事業状況にも配慮した丁寧なコミュニケーションを行うことで、良好な関係を維持しながら適正な賃料水準への改定を実現できます。

実務上は、以下のようなアプローチが効果的です。

  • 段階的な改定:一度に大幅な増額ではなく、複数回に分けて段階的に改定する
  • フリーレント等の併用:賃料増額と引き換えにフリーレント期間を設けるなど、柔軟な条件提示を行う
  • 設備投資との連動:共用部のリニューアルやセキュリティ強化など、テナントにとってのメリットと組み合わせる

まとめ

賃料改定は、ビルオーナーにとっては資産価値の維持・向上のために、テナント企業にとっては適正なコスト管理のために、いずれの立場においても重要な経営課題です。そして、その成否を左右するのは、「適正な賃料水準」を客観的なデータで裏付けられるかどうかにかかっています。

本記事の要点をまとめます。

  • 借地借家法第32条により、市場環境の変化に応じた賃料改定は法律上認められた権利である
  • 継続賃料は市場賃料(新規賃料)とは異なり、契約の経緯等も考慮した専門的な評価が必要
  • 客観的な鑑定評価書は、交渉・調停・訴訟のすべての段階で最も有力な根拠資料となる
  • 賃料の据え置きは長期的に大きな機会損失を生む

賃料改定をお考えのビルオーナー様、企業の不動産管理ご担当者様、あるいは賃料の減額交渉を検討されているテナント企業様は、ぜひ一度ご相談ください。不動産鑑定士として、適正賃料を「数字」で証明し、円滑な交渉をサポートいたします。初回の無料相談も承っております。