はじめに
2023年11月、WeWorkが米連邦破産法第11章の適用を申請しました。一時は470億ドル(約7兆円)の企業価値を誇ったフレキシブルオフィスの巨人の破綻は、不動産業界に大きな衝撃を与えました。日本法人であるWeWork Japanも2024年2月に民事再生を申立て、その後ソフトバンク傘下のWWJ株式会社として事業を承継し、再建を果たしています。
「やはりコワーキング・シェアオフィスというビジネスモデルは持続不可能だったのか」――そう感じた方も少なくないでしょう。
しかし、WeWorkの破綻はフレキシブルオフィス市場そのものの終焉を意味するわけではありません。むしろ、コロナ禍を経て定着したハイブリッドワーク(出社とリモートの併用)の潮流は、フレキシブルオフィスの需要を構造的に押し上げています。WeWorkの失敗は、特定企業の過剰投資と財務規律の問題であり、市場全体の否定ではないのです。
問題は、このフレキシブルオフィスという新しい不動産カテゴリを、どう評価するのかという点にあります。従来のオフィスビルとも、ホテルとも異なるこの資産クラスの鑑定評価は、不動産鑑定士にとっても新たな挑戦です。
本記事では、フレキシブルオフィスの市場動向と、不動産鑑定評価における特有の論点を解説します。
第1章:フレキシブルオフィス市場の現状
1-1. フレキシブルオフィスとは何か
フレキシブルオフィスとは、従来の長期定期借家契約によるオフィス賃貸とは異なり、柔軟な契約形態(短期契約・月単位・時間単位)で利用できるオフィススペースの総称です。
| 類型 | 特徴 | 主な利用者 |
|---|---|---|
| コワーキングスペース | オープンスペースを共有利用。月額制・ドロップイン | フリーランス、スタートアップ |
| シェアオフィス | 個室や専用デスクを提供。月額制 | 中小企業、リモートワーカー |
| サービスオフィス | 家具・受付・IT設備込みの個室オフィス。契約期間柔軟 | 外資系企業の日本拠点、プロジェクトオフィス |
| ハイブリッド型 | 上記を組み合わせた複合施設 | 大企業のサテライトオフィス |
1-2. WeWork破綻後の市場再編
WeWorkの破綻後、フレキシブルオフィス市場は以下の方向に再編が進んでいます。
1. 運営事業者の淘汰と集約
体力のない事業者は撤退し、財務基盤の安定した事業者に市場が集約されつつあります。国内では、TKP、WWJ(旧WeWork Japan、ソフトバンク傘下)、日本リージャス(IWG/三菱地所グループ)などの大手が市場を牽引しています。
2. ビルオーナー自身による運営
大手デベロッパーが、保有ビルの一部をフレキシブルオフィスとして自社運営する動きが加速しています。三井不動産の「WORK STYLING」、三菱地所の「xLINK」などがその例です。
3. 需要の底堅さ
ハイブリッドワークの定着に伴い、大企業がサテライトオフィスとしてフレキシブルオフィスを活用するケースが増加しています。「本社オフィスを縮小し、複数のフレキシブルオフィスを分散拠点として利用する」というモデルが浸透しつつあります。
1-3. 市場規模と成長見通し
日本のフレキシブルオフィス市場は、コロナ前の2019年と比較して大幅に拡大しています。東京23区のオフィスストックに占めるフレキシブルオフィスの割合は約2.3%(ザイマックス総研「フレキシブルオフィス市場調査2025」、2024年12月時点)ですが、ロンドン(約6%)やニューヨーク(約5%)と比較するとまだ成長余地が大きいとされています。
第2章:フレキシブルオフィスの不動産評価における特有の論点
2-1. 収益構造の複雑性
フレキシブルオフィスの収益構造は、従来のオフィスビルとは大きく異なります。
従来のオフィスビル:
賃料収入(固定・長期契約) − 管理運営費 = NOI(Net Operating Income、純収益)
フレキシブルオフィス:
利用料収入(変動・短期契約) + 付帯サービス収入(会議室、郵便、印刷、イベント等) − 人件費(受付、コミュニティマネージャー等) − 家具・什器の減価償却 − IT設備・通信費 − マーケティング費用 − 管理運営費 = NOI(純収益)
フレキシブルオフィスはオペレーショナルアセットであり、介護施設やホテルと同様に、事業運営の質が収益力を直接左右します。鑑定評価では、事業収益から不動産に帰属する純粋な不動産収益を分離することが必要です。
2-2. 稼働率の変動リスク
従来のオフィスビルでは、テナントとの定期借家契約(契約期間を定め、期間満了で契約が終了する借家契約。通常2〜5年)により賃料収入が安定します。一方、フレキシブルオフィスは月単位の契約が多く、稼働率の変動が大きいという特徴があります。
景気後退や企業のオフィス戦略の変更により、短期間で稼働率が急落するリスクがあります。鑑定評価では、この稼働率変動リスクをDCF法(Discounted Cash Flow法、将来のキャッシュフローを現在価値に割り引いて価値を算定する手法)の割引率やキャッシュフロー予測に適切に反映させる必要があります。
2-3. 内装・設備投資の取り扱い
フレキシブルオフィスの運営には、通常のオフィスビルよりも高額な内装・設備投資が必要です。デザイン性の高い共用スペース、高速Wi-Fi環境、会議室のAV設備、キッチン・カフェスペースなどが求められます。
これらの投資が「不動産の価値」として残るのか、「事業用設備の価値」として減価していくのかは、鑑定評価上の重要な論点です。一般的には、汎用的な内装(照明、空調、床仕上げ等)は不動産の付加価値として、特定用途に特化した設備(ブランド固有のデザイン等)は事業用設備として区分して評価します。
2-4. 「最有効使用」の判断
鑑定評価の基本原則である「最有効使用(Highest and Best Use)」の判断も、フレキシブルオフィスでは複雑になります。
対象不動産がフレキシブルオフィスとして運営されている場合でも、通常のオフィスとして賃貸したほうが安定した収益が得られるのであれば、最有効使用は「通常のオフィス賃貸」となります。
逆に、立地や建物の特性(築古のリノベーション物件、中小規模ビルなど)がフレキシブルオフィスに適しており、通常の賃貸よりも高い収益が見込める場合には、フレキシブルオフィスとしての使用が最有効使用となります。
第3章:ビルオーナーと投資家への実務的な示唆
3-1. ビルオーナーがフレキシブルオフィスを検討する際のポイント
自社ビルの一部をフレキシブルオフィスとして活用することを検討するビルオーナーが増えています。判断のポイントは以下の通りです。
適しているケース:
- 空室が長期化している中小規模ビル
- 大型テナントの退去後、分割募集が難しいフロア
- 駅近で、個人・小規模事業者の需要が見込める立地
- 築古だがリノベーションでデザイン性を訴求できるビル
注意すべきケース:
- 既存テナントとの競合が生じる可能性がある場合
- 運営ノウハウが社内にない場合(外部委託の検討が必要)
- 初期投資(内装・設備)の回収に長期間を要する場合
3-2. 投資家がフレキシブルオフィスを評価する際の視点
運営事業者の質の見極め
フレキシブルオフィスの収益力は、運営事業者のブランド力・マーケティング力・コミュニティ運営力に大きく依存します。事業者の財務状況、運営実績、解約率(チャーンレート)を確認してください。
賃貸借契約の構造確認
ビルオーナーとフレキシブルオフィス事業者の間の契約が、固定賃料型(マスターリース。事業者がビルの一括借り上げを行い、固定賃料をオーナーに支払う契約形態)か、売上連動型(レベニューシェア)かによって、ビルオーナー側のリスクプロファイルが大きく異なります。
- 固定賃料型:事業者が賃料を固定で支払う。ビルオーナーのリスクは低いが、事業者の破綻リスクあり(WeWorkの教訓)
- 売上連動型:事業者の売上に応じて賃料が変動。ビルオーナーも稼働率リスクを共有
3-3. 鑑定評価の依頼時に伝えるべき情報
フレキシブルオフィスの鑑定評価を依頼する際は、通常のオフィスビルの鑑定よりも多くの情報提供が求められます。
- 運営事業者との契約内容(マスターリース契約書・レベニューシェア契約書)
- 過去3年分の稼働率・売上・費用の実績データ
- 利用者の属性と契約形態の内訳(月額制・年契約・ドロップインの比率)
- 内装・設備投資の金額と時期
- 競合施設の状況(同一エリア内のフレキシブルオフィスの数と稼働状況)
まとめ
フレキシブルオフィスは、WeWorkの破綻を経てもなお成長を続ける新しい不動産カテゴリです。その評価には、従来のオフィスビルとは異なるアプローチが求められます。
本記事のポイントを整理します。
- フレキシブルオフィスはオペレーショナルアセットであり、事業収益と不動産収益の分離が評価の核心
- 稼働率の変動リスク、内装投資の取り扱い、最有効使用の判断が特有の論点
- ビルオーナーは空室対策・テナントミックスの一環として検討の価値がある
- 投資家は運営事業者の質と契約構造を重点的に確認すべき
フレキシブルオフィスの評価、あるいは保有ビルへのフレキシブルオフィス導入の事業性検証をお考えの方は、ぜひ当事務所にご相談ください。オペレーショナルアセットの評価にも対応しており、ビルオーナー様・投資家様それぞれの視点に立った分析をご提供いたします。
